Saturday, June 01, 2013

碧騒312 不正義の症状

312 不正義の症状  「巨大な悪事は、疔に似て、発熱し激痛をもたらすが、、小さな悪事は、湿疹のようにすこしずつ皮膚をくさらし、気づいたときには全身の皮膚を別のものにかえてしまっている。」そうした悪の症状は、子供のときに学んだことはなく、予期しないことが起こったのであり、「私はだんだんに風呂に入らなくなり、頭の皮膚が固くこわばって面をつけているかんじになることをたのしみ、ひげをはやすようになった。ひげは、あごの下に、一寸五分ほどのびて、それ以上に達しなかった。」(「正義」鶴見俊輔)  これは、効果をうまないと分かっていて行動に出るのか、黙って目も耳も塞ぐか、の選択に面して、息を詰める意志の顕在である。個体(subjectum )が場所を占める、その服従の運動は意志の潜伏で、それは、被造物の根拠、安らいであって正邪を問えない。意志の顕在は、潜伏するはずの意志が浮上してしまって服従の運動にならない金縛り状態ではなく、選択に面して漠として落ち着かないのである。面を被りひげで覆うのは息を詰めなくてもすむ場所を漠として探しているのであり、贅肉となって輪郭を探す症状にもなる。  「そのころ、胸に小さな穴があき、ふさがらずに月日がたった。熱帯にいて風呂に入らないことから来るのだと、うわさされたが、実は胸部カリエスの始まりだった。軍の病院で数度、骨をけずる手術をうけるうちに、私は自分の意志についての本来の使用法を見出した。麻薬が不足し、ほとんど麻薬ぬきの切開手術を長時間うけるとき、黙って苦痛にたえる恍惚状態を経験した。」(「意志」鶴見俊輔)  面やひげは不正義の症状に面して鈍感、あわよくば麻痺状態になろうとするのであるが、すると症状は内攻して胸部の穴に転生したのであり、今度は反転して、麻酔をかけない切開手術の激痛を以て麻痺状態になろうと倒錯するのである。ここでは、意志の顕在は、苦痛に耐えるか、麻痺するかの選択に面して息を詰める。それは集中する力であるとしても、意志は場所になろうとして、苦痛と麻痺の間に揺れる。どちらも情熱ではあるが、身ぐるみ剥がれ、内臓を暴かれ、骨を削られ、曝され、面やひげとは逆の方に漠として安らいの場所を探して、意志が顕在して息を詰めているが、苦痛も麻痺も二重の意味を孕んで、しかも苦痛と麻痺の区別がおかされるほどに彷徨っている。恍惚状態は、この懐胎性、彷徨性に面しての模写発作である。  ところで、熱帯で風呂に入らないから胸に穴があく、とうわさが囁かれたように、うわさは、集団の意志の顕在である。日本人は食べたものをぜんぶ吐き出すまで酒を呑む、という現地の車引きの観察は、写真のようなものであって、うわさではないが、それが写し取った日本人の生態は、差し迫った或いは慢性化した選択に面して息を詰めている意志の顕在を伝えている。意志が場所となって潜伏するのはしかも疚しさとなって潜伏するのであり、個体の安らい、根拠と、この疚しさとは新陳代謝するのであるから、意志の顕在に於いては、この疚しさも浮上してしまう。ぜんぶ吐くまで呑むのは不正義の症状なのである。日本軍部からすれば、車引きの観察は現地人の声帯を通して顕在化したうわさであり、日本軍部の集団に不正義の症状が起こっていたのである。

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