碧騒314 ジキル氏の発芽
314 ジキル氏の発芽
「ジキル氏とハイド氏」の、2個体を区別するのは中間突破や本質の頓挫としての記憶喪失である。ジキル氏とハイド氏の間を突破できないのであり、一方がもう一方を代表することもない。ところで、1=0.999・・・ の、1と0.999・・・ を区別するのは、直観であって直観に反する何か(範疇術や写真術の頓挫)ではないので、この場合の直観に限っては、それは記憶喪失のようなものということになる。1=0.999・・・ は記憶の回復ということになり、それは数学的証明であるが、部分と全体の区別がおかされている。ジキル氏とハイド氏の区別がおかされるのも、部分と全体の区別がつかなくなるのであり、ハイド氏はジキル氏の発芽なのである。個々のハイド氏の出現を平均するとそれはジキル氏であり、ジキル氏を抽象(写真撮影)するとそれはハイド氏であり、ジキル氏はハイド氏の場所(命令)に対応していて、この潜伏する命令の隠喩である。
ハイド氏の振る舞いとして顕れる(人面瘡としての)告白を、ジキル氏は制御も切除もできない。これは怪談である。同時に、別人としてのハイド氏は、犯人ハオマエナンダゾと恐喝していて、従ってハイド氏は殺される危機が迫っていて、これはミステリであり、同時に、それは、犯人探しをするジキル氏の危機であるという結論が届くことであり、精神分析的である。
ジキル氏はオイディプス的なのであるが、予言の実現を避けようとして却って予言が成就してしまうような、予言の実現を避けようとする運動が予言にひそかに含まれているような、そうした陰謀を欠いているかに見える。しかし、この陰謀がジキル氏の研究を駆り立て、ジキル氏に何か降って湧いた予言の、その成就としての破滅を避けようとしてジキル氏は破滅に突進してしまう。


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