碧騒319 奥行の黙示
319 奥行の黙示
移住を想って、或いは、旅から帰って来て、住み慣れた土地にいるはずなのにぞっとするとすれば、それは、ペルソナも旧き法も失効して、器官の延長が取り消されてしまうからである。中間突破に頓挫して、公的ではなくなるのである。
器官の延長としての分業は、職業や階級、身分、日常といった安定した惰性をもたらす。媒体性も器官の延長であるが、これが潜伏して個体であることを鎧うのでなければ分業は促進されない。身代わりであることが秘密になって、分業的に身代わりであることが公的になる。分業が徹底的に敷衍される社会の行末は、何もかもが代行になることである。一回的な誕生、成熟、老衰さえ身代わりであることが公的に(職業に)なろうとするプログラムが、まるでdivine scheme にでも組み込まれているかのようだ。まるで神が一回的な生とはどのようなものであるか体験的に知ろうとしている実験が、影のように転写され、しかし傍観的に知ろうとする実験に変質するのである。
ウィリアム王の治世(1818年)に、Howeという男が仕事で小旅行に出たなり行方知れずになるが、実は、履歴改竄して、家のすぐ近くに部屋を借りて17年もの歳月を過ごしてしまう、という逸話が伝えられている。それは解釈されたがっており、N.Hawthorne が「Wakefield 」として二度目に話し(1830年代)、H.G.Wells が「タイムマシン」として更に再話する(19世紀末)が、再話と気づかれないほどに覆面している。
タイム・トラベルの水準では、通信手段と交通手段の区別はおかされる。この技術革新は、個体にとっては究極の冒険になる。個体を安泰にしている惰性がおかされるからである。
浦島的な冒険は、未踏の土地、外宇宙や微生物、微粒子の探検とは何か違う。それは、中間突破する現実と中間突破に頓挫する擬似奥行の間で、不正義の症状が皮膚を透明にして顕れる。家郷を遠く離れると時計が遅れる、このことは、不正義の症状なのである。
器官の延長の終極では、一気に収縮して器官の延長が取り消され、前方の場所も後方の場所も占めなくなる。それは、現在の惰性(奥行)がおかされる奇妙な衝撃、落下、隠れないのに輪郭が消え、姿が隠れているのにさらけ出されるのである。


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