Monday, July 01, 2013

碧騒322 食物の黙示、隠喩、発見

322 食物の黙示、隠喩、発見  ヴィクトリア女王の拡張の時代の精神が、器官の延長としての分業の、その究極の追求であるとすれば、その症状は、時間を通り抜けて白骨化することもなく(擬似)転移した「現在」で転生する。生物の分岐は食物連鎖として現われた分業であり、進化の究極は分業の取り消し、何の身代わりか見分けがつかなくなることであり、職業、階級、身分、そして有性生殖も廃棄されかねない、社会とは言えぬ群が、この精神に安らっているかに見える。ところが人類は二つの亜種に分岐して、地上と地下に新たなしかし古い分業、食うものと食われるものとの分業に要約されていたのである。(「タイムマシン」H.G.Wells )  タイムマシンが盗まれてからというもの、何か監視する気配が息を殺して隅々に潜み、あるいは不意に雨音のようないやらしい足音やおぞましい湿気や臭い息を吹きつけて肉薄し振り払っても火をかざしてもしつこくからみついて誘うようにひたひた追い詰めて来る。この、隠れない被監視状態は、分業ではない。器官の延長の極で覗き穴が取り消されて能所の区別がおかされ、媒体であることが何処カラトモナク剥き出しになって個体であることが脅かされている気配が、被狩猟、被追跡の症状をとって出たのである。  飛躍して唐突に隣り合わせているもう一つの「現在」に安らっては、何処ヘトモナク媒体であることは隠れて秘密になり、肉料理を前に舌鼓を打つ。興味の疼きが「現在」を予言して真なるものの基盤であるが、真なるものとは、結局、食物の黙示、隠喩、発見、つまり、美味そうなもの、垂涎のものである。狩猟の衝動が蒐集の衝動に変形するのは王侯や貴族に限ったことではなく、タイム・トラベラーが時間旅行の証拠を収穫するためにコダックのカメラで撮影しようとするのも、証拠、証明というものが垂涎のものだからである。

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