碧騒327 激励のparamorph
327 激励のparamorph
偽は真に優越しており、偽は真の場所(意味)のようなもの、真の最終状態である。偽は真の抽象であり、真を歴史的にし、真を予期する記憶となって上り詰めて来ている。真と偽には互いに余計なものに似ようとする双子の霊がかかっている。
貨幣は偽のように振舞う。被造物を抽象し、歴史的にし、個体を予期する。貨幣の模写能は、被造物が媒体であることを模写しているのであるが、この模写は被造物の媒体性を秘密にしてしまう。貨幣が個体の場所(意味)のようなもの、最終状態であることは個体の安らいであるかに見えるが、貨幣も個体であるために貨幣の意味は宙に浮く。こうした貨幣の流通が分業を支え、促進していて、分業の地盤はいつでも取れ消されかねない。詐欺的であることが寄生的な失踪であるのは、貨幣の価値を縮めているのにそれと知らないことである。しかし、詐欺的であることに需要がないというのではない。物語ることの寄生的な失踪がそうである。虚偽は反分業的であるが、職業としての物語り(窃視の報告)は分業の網の目に組み込まれている。しかし、遍在する窃視を励ますものは、皮膚の輪郭の二重性であり、タイム・トラベルも姿の見えないことも、生涯の要約としてのTONO-BUNGAY(H.G.Wells)も、この激励のparamorph なのである。


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