Tuesday, August 27, 2013

碧騒341 自由は自らも蝉脱する

341 自由は自らも蝉脱する  若くして死期が視界に入ってしまったラルフが「悲運に咲く」のは(「或る婦人の肖像」H.James)すなわち、誰のためにか野生の花のように快活に見えるのは、ラルフの父がアメリカに生まれイギリスに移住して、しかし「脱アメリカする難解な生き方をとるのではなく、イギリスに融け込みながらも生まれた土地の刻印を新鮮な状態に保つ」スピリットの即興的変形である。大理石上のアマガエルの体表に大理石の文様が転写されるように、ラルフの父は環境に融け込みながらも根本の呼吸を消すのではない。それが、アメリカに移住した一族の子孫がイギリスに舞い戻って暮らす冒険の形式で、その形式が、若くして死期が視界に入ってしまっていることを素材にした変形、それがラルフの冒険である。否定はしないが囚われず、保存するために打ち消しておく。反対のものの間で限界づけ合って輪郭を鎧うことで分業の網の目に退屈な位置を占めるが、根本の呼吸は暗黒物質のように観測されないままに保存される。  イザベルの冒険は、アメリカ的なものからの遁走ではない。未開拓の或いは廃れかけた土地に踏み込み、未知の或いはアメリカ的なものとは違う思想、習慣に触れる被影響は、アメリカ的なものの再発だからである。アメリカ的なExodusの衝動は、残りの半生を未知の土地、領域、境地に賭ける移動、移住の衝動であるが、離脱した背景を否定するのではなく地層にすること(否定しないが囚われないこと)が根本の呼吸であるような、蝉脱の衝動なのである。否定しないが囚われもしない自由は自らも蝉脱する。それは、誰のためにか野生の花のように虚無的で、快活であるほかない技術革新である。

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