碧騒342 偽(義)の探究
342 偽(義)の探究
フーガの技法(J.S.Bach)は、根本の呼吸すなわち蝉脱を模写する。主題などというものは自明ではなく、発端でも源泉でもなく、蝉脱はそこから始まるのではない。主題は既に蝉脱して来ていて、フーガの追及、究明は、技術革新がそうであるように、偽(義)の探求と区別がつかない。技術としてのフーガの技法の究極は、反対のものの代用(義)をも蝉脱していく、その自由さえもが蝉脱することである。これは、生きることに根拠があるかのように見せかける技術である。
作品としての「フーガの技法」は抽象としての蝉脱の一つの解(具体)であり、具体化(個体化)とはunlearn であるが、野生の呼び声のようにこの抽象は喉元まで上り詰めて来ているが度忘れ状態にあるために、抽象が解けることとしてのunlearn は創造であるのに、想起と混同される。被造物と写真のようなものとが混同され、器官の延長の究極の戦きと、隠れていたものが顕れる効果や遠くして近い長目の効果との区別が混沌としておかされている。
対称性粒子がsubjectum になるために潜伏したものは重さも寿命も鎧わないが、それが暗黒物質として浮上する(subjectum になる)として、しかしそれは偽のようなものであり、対称性粒子の最終状態であり、しかし変脱するのではなく蝉脱するのである。


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