碧騒347 写真撮影としての子殺し、隠喩としての子殺し
347 写真撮影としての子殺し、隠喩としての子殺し
「死児を育てる」(野坂昭如):コンナノガオナカニイタノカというように五本に分岐した指をぴらぴらさせた人面瘡としての赤ん坊の腹話が告白から恐喝に変態して、発覚を恐れて子殺しが起こるのではない。このミステリは誰が犯人かではなく、何が動機か、その陰謀のみである。
動機1 怪談を抜け出して、しかも精神分析が扱わないように症状は転生しない。人面瘡の腹話に脅かされて擬死のエラー状態としての自殺に直に導かれるのではなく、被恐喝の状態を解消するために子殺しに導かれるのでもなく、女の小さな娘に女の衰弱死した妹が蔵身する腹話から藻掻き出るために、ただもう刑法に照らし出されようとするのであり、照らし出されるに値するための子殺しなのである。
動機2 幼い姉妹が生き延びるための選択が極めて難しい飢餓の状況は、諸々の実行(意志の潜伏)と、不正義の症状(意志の顕在)の錯綜である。しかし、かつて妹を見殺しにしたことを打ち消すからこそ女を腹話が脅かすのであり、妹を見殺しにしたことを写真撮影するように認識することとして、女は子殺しに出るのである。
動機3 しかし、女の子殺しは妹を見殺しにすることの一つの解、すなわち、妹を見殺しにするために子殺しに出るのである。夢のようにどうにも公然とならないものを女は引きずっているが、それは、妹を見殺しにすることがいつまでも出来事にならずに、子殺しの場所(最終状態)となって潜伏するのである。


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