碧騒348 見てはならない跳躍
348 見てはならない跳躍
8月15日以後の「アメリカ晴れ」は、日本晴れの対立項ではない。単に欲望がアメリカナイズされて猫も杓子も過度に平均化されたことへの反動の一つが、「唐獅子牡丹」への熱狂であるが、「唐獅子牡丹」になるわけにはいかない。日本晴れは、体制維持のための、勧善懲悪と英雄追放とに分岐し、「唐獅子牡丹」は英雄追放に属する。「フーテンの寅」のシリーズも日本晴れの大空に凧が揚がる元旦の、追放の復習であり、「フーテンの寅」になるわけにもいかない。「アメリカ晴れ」の狐狸に化かされた自由の気配は、挙って狐憑き状態の大政翼賛運動の類の気配に応答している。それは、擬態の気配が消せない状態の対極的な解(変奏)である。
「マイ・ミックスチュア」(野坂昭如)は、類の禁止の効果が蓄膿症として顕れた、その神経衰弱が蔓を延ばしてのさばらないように残虐写真を蒐集して類の気配に踏み込む。それは、類の領土へ空腹を抱えて越境する旅愁である。サイパン島の断崖に追い詰められて次々と飛び降りる日本の婦女子の催眠術にかかったような集団自決の、その、見てはならない跳躍を、撮影するようにではなくぞっとする模写発作を通して抽象した何か喉元まで上り詰めて来ている葛藤であり、その一つの解、葛藤が解けるのではなく、葛藤の一つの具体化としての越境(跳躍)なのである。
「アメリカ晴れ」の自由の気配が実は狐につままれていることを、マリリン・モンローは証明する。不随意筋のもとの平等、類の気配である。それは、残虐写真、ヴェトコンが至近距離から処刑される、その直前の表情から事後の蛙みたいにつんのめった射殺死体へつづく写真や、ヴェトコンの生首を据
えて記念撮影するアメリカ兵の写真からも脅かしかける平等の気配で、それは、自由の気配を地にしてエキゾチックである。
これは、階級、身分の越境を許さない厳格な社会に発作的に流行する心中がエキゾチックであることの説明でもある。世代の交替によってしか入れ替わらない身分社会の、その個々の階級の分業と一つの階級に属する個々の個体の分業の、その、器官を延長して自ら蝉脱する偽の探究としての自由の気配を地にして、闇の中に跳躍する心中が浮かび上がる。近松を魅する心中がおぞましいのは、その、区別され機能するようにする媒介に背いて形、限界を取り崩す気配、その、何でもなくなる熱平衡の気配から藻掻き出て、見てはならない姿をとったというふうだからである。


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