碧騒350 清冽
350 清冽
手塚治虫を魅するI-robot(「私」を鎧うロボット)は、誰でもなくなる類の気配から藻掻き出ておぞましい見てはならない姿をとる。アトムのつるつるの身体は、呼び出されるに値するようで照れ、値しないようではにかみ、ふるえているが、それはまた、心中の如く、自由を剥奪する監視の気配から藻掻き出て来世に器官を延長する技術革新である。偽(義)の探究は、産卵マシーンとしての女王Alien や処女生殖robot といったおぞましい姿に至る。神を孕む話がおぞましくも再発して、アトムの身体はまるで孕んだように魘される。まるで指が五本に分岐してぴらぴらした魂がアトムの身体に移住して来てしかも記憶喪失であることがアトムであるように、まるでアトムの冒険が陰謀や追跡の気配に、系統発生的迫害の気配に呼び出されることであるように、誘導される。
不知火の海の魚や巻貝を食うことで母体に蓄積した有機水銀に、胎生期に中毒して奇形を晒す杢太郎の冒険は、まるで両頬から生え出た両の掌を桃色のヒレのようにひらひらさせて転々反側、前進することである。それは、陸に上がってもなおも魚類から藻掻き出られぬというふうだ。成人や猫にこの奇病が出る場合には、痙攣し、痙攣の別の症状としてぐるぐる回ったり顔で逆立ちして舞踏することからして、それは、矛盾した命令に同時に服従するのである。この、「八狐」憑きの暗黒舞踏は、命令としてのメチル水銀化合物の潜伏であるから、石牟礼道子の天草水俣病の報告は、ルポとホメロス的なものの混合種のような、或いはその区別がおかされたようなものになるし、杢太郎に顕れた奇病は「金の卵」として貨幣に換算されることと「鉄カブト虫」がピンク色の花を咲かせるように他の誰にも見えないこととの間に揺れる。アスペルガー症候群のように、縁生が打ち消しているものが潜伏していられずに浮かび上がってざわめいてしまうのである。水俣は杢太郎の出そうな場所に変貌して、杢太郎は場所を占める出来事としての思いがけない奇形の出現というより、場所(命令)の身代わりであることとしておぞましい化の気配(地獄から管を通される清冽なmetamorphosis の気配)が消せないのである。それは認識ではなく、石牟礼道子が童女の頃に漠として抽象して、漠としてずっと予期していた天領天草の地獄図と神々の清冽なunlearn でもある。


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