碧騒352 偽の含羞
352 偽の含羞
石牟礼道子の遊魂状態が「苦海浄土」の、その、いかなる地の涯よりも地の中心である擬似奥行からどうにも抜け出せないのも、息を殺してうかがう不知火の海の気配に隠れなく照らし出されるだけでなく、石牟礼に覗き返されてどっと気配づくのである。
系統発生的迫害が加速的な偽の探究となって展開する近代の、その末端を冒した中毒と痙攣を事件として、秘め事ではなく補償すべき害悪として汚染として一般化しようとする試みは、ピンク色の花を咲かせた「鉄カブト虫」のように中間を突破しない水俣病が中間突破する水俣病として呼び出されてはにかんでしまうことでもある。
死体に面しての本能ができあがっていないように、本能的に発動する埋め合わせも知られていない。埋め合わせが偽の探究の敷衍であるにしても、どんな埋め合わせも含羞を免れ得ない。埋め合わせとしての言葉や現金の含羞は、それら媒体が何よりも一般化することの含羞、何よりも器官を延長することの含羞、偽の含羞である。


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