Saturday, October 05, 2013

碧騒354 1963年、真空

354 1963年、真空  兎の糞を辿ったら、片方の耳が黒い子兎と顔を合わせる、というように、1963年、秋、肥後と薩摩の藩境、湯堂で、石牟礼道子は山中九平と顔を合わせる。しかし、この、藩境と呼ばずにはいられないほどに埋もれた湯堂は、どうズーム・アップしても、どのような座標を以て規定しようとも、地獄から管を通された真空であり、目撃ではなく、リアス式海岸の一隅の地理的、時代的辺境性と融通するものではない。  石牟礼道子に漲る呪術的闘志は、悠久と区別のつかない系統発生的迫害を、チッソ水俣工場の排水口である百間港や、メチル水銀化合物や、暗黒舞踏として変形保存し、個々の発症の、その突出を以て、もっと邪悪に暴れ出さないようにそなえ、予め埋め合わせる。その突出を宥め鎮めるのではなく、それこそが鎮魂として突出して来たものとする力業である。単に水俣病を一般化して突出を均し、取り返しも置き換えもきかないものを埋め合わせようとするのではなく、個別化しながら一般化する呪術や部分を以て全体を代表する呪術、すなわち、中間突破し本質化する呪術がエラー状態になる(痙攣する)のである。  それは、水俣病の劇症に面しての模写発作でもあり、蛭子の一つの解として胎児性水俣病が発症しまた九龍権現の一つの解としてからだが紐のように捩れるようなことでもあり、そのために、この、頭を掻くような報告は秘め事であり、ホメロス的なもの(気配づく媒体性)が水俣にも水俣病にも水俣病事件にもかかるのである。

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