碧騒367 二重の隠喩としての鏡
367 二重の隠喩としての鏡
神が太陽としてかたちを現わす、その媒体性の隠喩としての鏡、鏡が物を映し出すように太陽が神を映し出すのである。しかし、神を映し出す太陽(モノ)の媒体性はこの世ならぬものがこの世のものに化すことであるから、この世のものとしての鏡が別のこの世のものを映し出す媒体性とは決定的に異なる。
鏡が種々のこの世のものを映し出して一物も蓄えないということは、言葉としての太陽が様々な面を見せる個々の太陽のどれか一面だけを代表してしかも一般に留まること、つまり、言葉の媒体性にも似ている。鏡が何か或る物に占領されたまま取り消せないために他の何も映し出せなくなる気配には(コレハオマエナンダゾと呼び出されるが疑わしい渾身の本質・本質の頓挫には)、渾身の範疇・範疇の頓挫としての言霊の気配が対応している。


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