Saturday, November 16, 2013

碧騒368 「物のさねはわが物」(本居宣長)

368 「物のさねはわが物」(本居宣長)  「神の道は物へゆく道」(宣長)  ローレンツ博士のホシムクドリが部屋に虫などいないのに突如、飛行、捕食、嚥下した空の反応のように、物へ導かれるのである。神が場所となって潜伏する、その場所(最終状態)が、物が占めるように外在的であるか、物が孕むように内在的であるかの間に振動する、つまり、種と命令(興味、予期、圖形)の間に振動する、その場所があふれ出している限りでは、物はモノに解けて、すなわち幸である。幸としてのモノには意味があふれ出して歓喜のようで、本当の持ち主が接近しているために光り出す。  しかしこの光は、まつろわぬモノのしるしであり、実はこの世のものを脅かして禍々しいのであって、幸は禍を打ち消さない。幸と禍が仮そめにも対立するのは、場所が外在的で、場所を占める物に(従って)本当の持ち主が接近していないのである。  「あやし」「あはれ」といった覚醒の、この、まつろわぬ裂目はまつろわぬモノとして、二重に光り出している。渾身の経験・経験の頓挫の放つ忽光が本当の持ち主の接近に感応して更に光り出すのである。

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