碧騒371 私の出そうな場所
371 私の出そうな場所
飯盛山が鎮まらない、その被占拠(場所(最終状態)があふれ出した)状態は、幽霊を発見したのは私であるのに幽霊は私を探しているようではない(H.James )といった、経験が疑わしくなる不思議なかなしみに通じている。幽霊が鎮まらないのは、直しさを鎧って場所を占めるどころか反転して場所が占拠してしまうからである。幽霊の出そうな場所は幽霊の発見される場所ではなく、場所があふれ出しそうな場所の頓挫であり、分節の頓挫である。幽霊の出そうな場所が私の出そうな場所に転ずるのは、時間の頓挫である悠久の百重に寄せる重波が私を探しているようではないと呼び出されるようなものである。この、奇妙な疎外と意味の横溢は、一目惚れの精神分析に通じている。約束の気配といった意味の横溢は、私の出そうな場所の、その疎外の埋め合わせである。


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