碧騒365 まつろわぬ裂目、肉薄
365 まつろわぬ裂目、肉薄
古事記神ッ世は、問が座礁するようなものに出くわす、すなわち(問というものは法則的、歴史的に到達・保存して一般性や本質に迫ろうとするのであるから)経験に面して経験が頓挫してしまう、そのような(この世ならぬ)ものの忽然とした出現で、その、何か異郷的なものが裂目となってみひらく経験は、その渾身の経験・経験の頓挫がただ薄気味悪く迫るのであるが、それは、その霊気の源泉、まつろわぬ裂目に触れて、渾身の認識にして認識の頓挫である「もののあはれ」のように顔面が模写発作して肉薄するのである。
「天地初発の時は今にあり」(北畠親房)
起原は移動する。出現すると同時に潜伏する媒体性、霊的抽象(命令、興味、予期)がモノ(具体)となって顕れる(従って隠れる)媒体性は、個々の物と物との間に出現しては逃れ去る種(一般性)というふうに変容し、秘密になり、それと知らず使いこなされる。物を個別化すると同時に一般化する媒体としての言葉は霊的ではないが、機能しないエラー状態にあっては、一般性が保持されずに個と種の区別も物と言葉の区別もおかされて俄然霊的になる。それが言霊、渾身の範疇にして範疇の頓挫、渾身の経験にして経験の頓挫である。個体としての物を包んでいた平均性が振動してモノを包む隠喩性に連れ戻され、モノ(媒体)と言葉(媒体)の区別がおかされるのである。「神カラカ飽カヌカモ」が報告しようとするのは、この、まつろわぬ裂目、この振動、この渾身・頓挫(肉薄)である。


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