Wednesday, December 04, 2013

碧騒374 葦牙の光景、獰猛な光景

374 葦牙の光景、獰猛な光景  假字や借字、音韻の転りや約まりや漢文の姿で覆面した古語を遡上する「古事記伝」は、覆面が隠す古語を驚かすのである。それは、記号である覆面の意味(場所)として古語が顕れるのであり、その覆面の規則に従って覆面を剥がす解読は、隠れていたものが顕れる効果に包まれるだけでなく、その、光の励起は、出現すると同時に潜伏する隠喩に通い、打ち消され疚しさとなって潜伏する矛盾した命令が圧縮、転移、韜晦して姿を変えて顕在化する症状にも通い、更には、霊的衝動が「物へゆく」化にも、霊的抽象が諸々の命令の號になって驚くのにも通う。古語の顕在化は、場所を占めるのではなく、場所があふれ出すのであり、時間の頓挫、葦牙の諸々の命令の光景である。  「僻ことなり」などと声高になる「古事記伝」は妥当要求に振り回される認識(まねび)の覆面をしているが、霊的抽象が解けて(unlearn して)光が励起する、「古事記伝」の「懐驚懐恢」は、古事記の覆面が人面瘡に変じてぺらぺら白状し出す怪談と古事記の覆面を「わが物」にする告白と古事記の覆面が他の誰かの声に吹き替えられているミステリや精神分析との区別がおかされている。つまり、媒体であることの気配が消せない(心臓がわしづかみされる)不気味、コンナノガオナカニイタノカ、と腹話する、産声の獰猛な光景なのである。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home