碧騒387 海から来る解離
387 海から来る解離
事を定め固めるために、「物へゆく」に頓挫しないために、イザナギとイザナミに分割して生きることと死ぬことが解離するように、オオモノヌシとオオクニヌシに分割して物と場所が解離する。本当の持主は単数ではないことに胴震いしてしまうスセリ姫の嫉妬とは、スセリ姫が場所となって潜伏しないで目合ふ姫々が谺するように崎々にあふれ出してしまうのであるが、これは、生きることと死ぬことが解離しないままにオオクニヌシがさまよい出ることでもあり、オオモノヌシが海から来るのは、物と場所が解離するのである。物も物が占める場所も神のしるし(代)であるが、その気配を消す解離とは、そのように神の気配を消して直しさ(中間突破)を鎧うこと(擬態)である。オオクニヌシの葛藤、彷徨、定め固まらない決定不能の胴震いは、物へゆく霊的衝動としても場所となって潜伏する霊的衝動としても呼び出され、両性を兼ねるからであるが、解離することで、本当の持主が単数ではないことに胴震いする嫉妬は解消する。それは、決定不能の胴震いが吹き替えられたものだからである。
ところで、オオモノヌシにあたかも先立つかのようにしてスクナビコナが、海から来て解離したのは、一体何か。オオクニヌシとスクナビコナの分割が代表するのは、内と外の解離というより、部分と全体の解離だろう。スクナビコナの国は底の極まる予定調和的な全体(の潜伏)であり、オオクニヌシの国(部分)が漠として代表して、葛藤・渾然としているが、解離することでオオクニヌシの国は出来事のしるしではなく出来事に反転するのである。つまり、オオクニヌシの国が写真のようなものであることから変脱するのである。


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