Wednesday, January 15, 2014

碧騒388 盗まれている光、光が禍る

388 盗まれている光、光が禍る  もう一つの解離は、ウミサチヒコとヤマサチヒコに分裂する。同一のものと同種のものの解離であるが、葛藤は直らない。奇妙な疎外・奇妙な命中(本当の持主は単数ではないこと)を模写する嫉妬は、ウミサチヒコの独占する幸に面してうら病む(心が届かなくなる)ことに変形する。その幸が、盗まれているかのようにヤマサチヒコの接近に光り出しているからである。わざとではないかのように釣鉤を紛失することはすなわちそれと知らず隠すのであり、盗まれているのではないかと漠としてヤマサチヒコが疑っているようなものである。  この、本当の持主は単数であるはずなのにそうではないかのような葛藤は、紛失した釣鉤はウミサチヒコのもの、隠した釣鉤はヤマサチヒコのものというように疎外と命中に解離するが、ウミサチヒコもヤマサチヒコも、それが元の釣鉤であると定め固めるだけのしるしを知らない。限られた場面でしか元の釣鉤は中間突破しない。同一のものというものはおぼつかなく、ところが、この同一のものは置き換え難く、同種のものをいくら掻き集めても埋め合わせることができない。そのように、同一のものと同種のものが解離するのである。  ところで、同一のものも、同種のものとは別の水準の平均化に於いて予定調和的に出現するもう一つの種であり、元の釣鉤は予定調和的な「私」の如きものである。元の釣鉤の、もう一つの種であることと同種のもの(身代わり)であることの間の葛藤が解離しようとして直らないとすれば、それは、本当の持主が単数ではないために、禍るのである。人の手から人の手に渡る壷や、村雨丸や、青い紅玉(the blue carbuncle)の、その光が禍るとすれば、それは、光が盗まれているからである。

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