碧空405 最終状態の練習
405 最終状態の練習
スコトプリゴニエフスクを激変が襲っているとすれば、ヒョードル・カラマーゾフ殺害事件のような目に見える変化のためではなく、この世が何処デモナクなる最終状態のためである。それは、疚しさとなって潜伏していたものが剥き出しに薄気味悪く肉薄するのであるが、何も変わっていないというようだ。
神懸かりの社会的形態である分業は、人殺しが起こったとしても、実は誰も犯人ではなく、誰もが犯人であるような、完全犯罪のための技術革新である。誰もが心神喪失状態であり、誰もが殺害に向かって複雑に器官を延長するし、器官の延長(凶器)である。誰もが罪を負う、というより罪を鎧っている。しかし、分業は神懸かりであることを打ち消す擬態の気配を消して、嘘が真実を鎧う限りで、完全犯罪を阻止するための気休めとして裁判を繰り広げるが、誤審ではないように見せかけるために駆使されるのは如何わしい説得術に過ぎない。
つまり、完全犯罪のための技術革新として分業が、しかも同時に、完全犯罪と誤審を阻止するために説得術が発達したのであるが、それはどこまでも如何わしく、抱き合わせの完全犯罪と誤審を防げない。
しかし、スコトプリゴニエフスクのカラマーゾフ裁判は、完全犯罪と誤審を阻止する練習というより、アリョーシャを通して断片とも全容ともつかぬ姿を現わした最終状態の人知れぬ練習なのである。


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