Monday, March 31, 2014

碧空413 種子が鷲掴む

413 種子が鷲掴む  写真術も占星術も提喩であるが、差し当たって、写真術は複写、占星術は予言である。  複写の到達・保存しようとする向きが反転する予言に於いては、提喩は範疇に変容する。媒質は一回性ではなく一般性を色濃くする。  ミーチャを固定観念のように鷲掴みしている「三千ルーブル」(「カラマーゾフの兄弟」)が範疇であるのは、父殺しの複写が未来の父殺しの予言に反転しているのである。その複写と予言の関係が占める実体が種子であるが、この寿命を鎧わない(場所を占めない)種子はこうして提喩と範疇の関係に変容して潜伏する。  この「三千ルーブル」はジャンルのように分類装置であるだけでなく、生産装置でもあって、それが素材としてのカラマーゾフを間に合わせて(即興的に)生産する父殺しは複写でも予言でもなく、種子の気配が消えない化であって、司法は扱えない。実体(種子)を占める複写と予言の関係すなわち動機は扱えても、動機に影(実体)がおどむのならば、すなわち、鷲掴むように種子がかかるのならば扱えないし、裁けない。それは、個の頓挫なのである。既視感では、到達と保存のための現在の惰性がしかも取り返しがつかない、というより位置が確保できないと感じられる。実体(種子)が、複写と予言の関係が占めるように潜伏するのではなく、あふれ出してしまうのは現実の頓挫なのである。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home