碧空416 ラスコーリニコフの出そうな場所、の奇怪
416 ラスコーリニコフの出そうな場所、の奇怪
物が占める場所が物の影であるように、場所の影(すなわち場所の場所)は意味である。アリョーナ・イヴァーノヴナはラスコーリニコフの出そうな場所で、ラスコーリニコフはアリョーナ・イヴァーノヴナに出てしまうために打ち消される意味である。それは、彷徨い出てしまうかのようであるが、何か狙い澄まされている。子供の時分にあるいは何処かで逢着したがとても思い出しそうになかった顔や玉突台のそばにいた士官に出てしまうラスコーリニコフの反復であり、そうしたラスコーリニコフの複写が予言に反転する。そのようにしてソーニャへも出てしまう。
「ソーニャは急にまた興奮し、いらいらさえしてきた。それはちょうどカナリヤか何か、そうした小鳥が、腹を立てたらこうもあろうかと思われるようなぐあいだった。」
蛆とカナリヤの差異は、種子の潜伏(影)が場所なら拡張するが、意味なら収縮する。蛆もカナリヤも、ラスコーリニコフの出そうな場所だからである。並行して、打ち消されて潜伏する種子の疼き(疚しさ)は、罰との区別がおかされてしまう。
「その時彼のふとった小さな丸々した姿が、まりのようにあちこち飛んで行って、四方の壁や隅々からすぐはね返って来るのが、なんともいえず奇怪に感じられた。」
アリョーナ・イヴァーノヴナ殺害事件の予審判事、丸々としているが小柄なポルフィーリィ・ペトローヴィッチもラスコーリニコフの出そうな場所で、蛆とカナリヤと毬の差異は収縮し、腹を立てるカナリヤのような身振り発作も、まりのようにあちこち飛んで行っては四方の壁から跳ね返って来る思考を模写する身振り発作も、影がおどみ、そのようにしてゴーストがかかる限りで、この世に顕在化するものの、その隠喩性は、この世のものと霊的なものとの区別、具体と具体が占める場所となって潜伏する種子との区別だけでなく、罰と罪の区別がおかされることで一貫している。
アリョーナ・イヴァーノヴナ、ソーニャ、ポルフィーリィ・ペトローヴィッチ、玉突台のそばにいた士官、思い出しそうもない人々、ラスコーリニコフの視野に闖入したそれらの顔々は、一体何なのか。しかしこの問は、何か違う。ラスコーリニコフこそは、それらの顔々の意味、最終状態なのである。つまり、提喩と隠喩の区別、本質と最終状態の区別もおかされて奇怪なのである。


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