碧空420 スヴィドリガイロフの盗聴
420 スヴィドリガイロフの盗聴
ラスコーリニコフに再生する、毒を盛る衝動は、いかに動機づけ、理論武装しても舌足らずになる。秘密を守るには沈黙すればいいとは限らない。ラスコーリニコフがアリョーナ・イヴァーノヴナの殺害に及ぶのは、この十四等官の寡婦、老いた金貸しがそれだけでラスコーリニコフの秘密を漏らそうとする恐喝だからである。ラスコーリニコフの自首、自白はこの秘密を漏らすことにはならない。それは告白ではない。告白は発作であり、人面瘡を通して告白するのであり、ソーニャはラスコーリニコフにできた人面瘡なのであり、ラスコーリニコフの自白はソーニャを通って初めて告白に変貌する。それはソーニャには届いても、隣室で盗み聞きしているスヴィドリガイロフに届くのは自白に過ぎない。
一体、ラスコーリニコフの秘密とは、ラスコーリニコフが打ち消さないではいられないこと、真犯人であることではなく、素材に過ぎないことである。ラスコーリニコフを脅かす予審判事ポルフィーリィの分析はこのことにまでは迫らないためにポルフィーリィは殺すまでもない。ポルフィーリィは事実や動機しか扱わない。それが隠れているとしても、それはラスコーリニコフの秘密ではない。
毒を盛る衝動が殺害と告白に分割されたために、それは三幅対の素材、三幅対の生贄を要求している、ラスコーリニコフ、アリョーナ・イヴァーノヴナ、そしてソーニャである。これは即興であるが、この即興が打ち消している三幅対が、スヴィドリガイロフ、マルファ・ペトローヴナ、ドゥーネチカである。スヴィドリガイロフの盗聴は精神分析のようなものであり、実はラスコーリニコフの自白を越えて屈折したものがスヴィドリガイロフに祟り返している。つまり、ずっとむかしにどぶに流したか床下に押し込めたはずの命令が再生しているのである。それは、ドゥーネチカに面して、高潔というようなものと取り違えられている。しかしそうではなく、素材に過ぎぬものが高潔であろうとする孤影の葛藤、落差、二重性、入日の斜光のような何かである。
スヴィドリガイロフに顕れた自殺の発作は、秘密を共にする衝動のもう一つの解で、毒を盛る衝動がラスコーリニコフに顕れた殺害と告白の発作の、その発作の向きが反転している。


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