Sunday, May 18, 2014

碧空429 真鶸を獲る最適の季節

429 真鶸を獲る最適の季節  殆ど半世紀前のナスターシャ・フィリッポヴナのことで思い出すのは、花嫁の冠を被る寸前で逃げ出してしまう女のことで、うわさのように脱皮し続けるために法則的に予言しにくく、せめてルーブル通貨で一般化したくなるが、そのような捕獲を擦り抜けようとする女なのである。(「白痴」ドストエフスキー)  一方、ムィシキン公爵の興味が器官を延長してナスターシャ・フィリッポブナを捕獲するのに最適なのも、通貨や言葉ではなく、季節だろうか。  ところで、ナスターシャ・フィリッポブナの出現(の忽光)を、三態に分析するならば、  1 漠とした予期に矛盾しない範囲で即興的に(コノ女性ガイルヨウナ気ガズットシテイタというように、しかしコノ女性ハ私ヲ探シテイルヨウデハナイというように)ナスターシヤ・フィリッポブナの肖像写真がムィシキン公爵に目をみひらく。(具体と予期が解離しない)  2 その肖像写真が代表して収縮すると同時に拡張する影としてのナスターシャ・フィリッポブナがおどみ迫る。(部分と全体が解離しない)  3 その肖像写真に矛盾しない範囲で即興的にナスターシャ・フィリッポブナがムィシキン公爵の眼前に顕現する。(個と一般が解離しない)  2の肖像写真は、その影(場所)としてのナスターシャ・フィリッポブナに矛盾しない範囲でずれるが、3の肖像写真は種の出現のようなもので、この強制にナスターシャ・フィリッポブナが矛盾しない範囲でずれる。種の出現とは、部分が部分の影としての全体に変脱するのである。

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