碧空431 「ロゴージンの目」
431 「ロゴージンの目」
癲癇の始まるすぐ前に起こる出来事を「アウラというのは、患者の或る者においては冷たい感じ、息をふっとふきつけられる感じで始まるからである」。
ムィシキン公爵が誤って「ロゴージンの目」としている被監視の気配は、癲癇の前兆としてのアウラ、極端な「私」というものの拡張が「無我」と区別がつかないのであるが、その光、際限のない反語や脱皮に面して、公爵は痙攣的に模写もするが、アリョーシヤのように転移発作的に接吻もする。
ムィシキン公爵の癲癇がアリョーシャに顕れないのは、失神する代わりに修道院に入るのである。俗世間に出てはアリョーシャの癲癇性はアリョーシャとスメルジャコフとに分割され、癲癇が他の誰かの身体に顕れるために打ち消されて潜伏することになるが、それは、ナスターシャ・フィリッポブナが法則的に予言されまいとして脱皮するように命懸けで失神を脱ぐのである。失神する如くにスイスに身を潜めていた公爵が記憶喪失から覚醒したかのようにペテルブルグへ出て彷徨うことは、下降のようなもので、その先で川上に出てしまう。
metamorphosis が贖罪的であるのは、霊と具体が解離しないこと(具体にゴーストがかかること)は罪と罰が解離しないことだからである。打ち消されて潜伏したものの、その総量が具体の縁生にかかっている、或いは概して取り憑いている。ムィシキン公爵は「ロゴージンの目」に釘づけになる。ロゴージンの目がその影としての「ロゴージンの目」に変脱するのである。


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