Tuesday, May 27, 2014

碧空432 彷徨、癲癇、脱皮

432 彷徨、癲癇、脱皮  ナスターシャ・フィリッポブナが姿を晦ますのは、ペテルブルグそのものになるのであり、「ロゴージンの目」に息を吹きつけられるのは、ペテルブルグに変脱したナスターシャ・フィリッポブナの息がかかることの別解である。つまり、ムィシキン公爵が魘されるようにペテルブルグを彷徨うことは癲癇の前兆であるが、同時に、蛆虫であることが秘密になるほど「無我」から「私」というものが漠として藻掻き出ようとする脱皮の運動でもある。  この彷徨、癲癇、脱皮に著作権はない。「白痴」であることは半ば著作権の剥奪の、半ば著作権がないことからの脱皮の、二重の試みである。それが、何か漠としたしかし何か決まってもいる予期であるのは、種子の興味だからである。

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