Wednesday, June 11, 2014

碧空437 袖触れ合う隣人

437 袖触れ合う隣人  ムィシキン公爵がナスターシャ・フィリッポブナに魘されるのは、その出現が極端に局在的であるかのようでいて姿が見えなくなるほど遍在するからである。魘される限りで、何か新しく予言的なものが、しるしとしるしを現実にする影としての物とに解離しない。その肉薄は、袖触れ合う隣人の、一体誰と入れ替わっているのか分からないJesus Christや、袖触れ合う隣人の間に紛れ込んだ魔女や人狼や、J.J.Rousseauを誘導するように追跡する目や、袖触れ合う隣人の一体誰なのか分からないイワン・イワノヴィチや自爆テロリストといったparamorph の、重瞳の如きしるしである。  このparamorph の系列は、零落を辿っているのではなく、怪談、ミステリ、精神分析が告白の零落でも派生でもなく腹話のparamorph であるように、何か新しく予言的なもの、霊的なものの、その出現の隠喩性の、その解離しない二重性の方解である。

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