Friday, June 20, 2014

碧空440 何も打ち消せずに魘される

440 何も打ち消せずに魘される  現実というものはくそ真面目で頑固で、袖触れ合う隣人としてナスターシャ・フィリッポブナが現実であるために打ち消されたものはロシアの大地と区別のつかない疚しさとなって潜伏していて、ナスターシャ・フィリッポブナはそれと知らず嘖まれているが、写真撮影し損なって取り逃がし、食い破って出て来そうなロシアの大地が写ってしまうことはない。竹林に身を潜めているのを確かに目撃したはずの虎が、撮影したフィルムを現像すると写っていなかったという仰天の報告は、虎斑が肉眼には効果がなかった(或いは効果が出るには時間がかかる)ということより、虎の縁生のために打ち消され場所となって潜伏していたものが食い破って出て来そうであることの暗示、擬態が解けることの暗示である。  こうした暗示にかかったナスターシャ・フィリッポブナは、苛まれているのか責めているのか、隣人をそのままに取り逃がしてしまうといったグロテスクの練習をしているのか、贖罪の練習をしているのか。こうして、何も打ち消せずに魘されるのは、試みに、ノスタルジアと呼んでみたくなるが、それは、何もかも打ち消す感情と取り違えて魘されている、というふうだ。

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