Sunday, August 10, 2014

碧空457 被監視状態を持て余す

457 被監視状態を持て余す  スタヴローギンが我慢ならないのは、法則的で予測できること、一般的、平等であることであり、究極の平等としての袖触れ合う隣人はスタヴローギンを脅かす。ところがしかも、スタヴローギンを発作的に至福にするのは、袖触れ合う隣人や試煉の如き両極端、二重性、矛盾、反語性の含蓄といった痙攣性なのである。  一般化する限りで現実になる予言や技術革新の予言である奇蹟のように、免罪符はカトリック教会が開発した誰もが欲しがる究極の商品であるが、そのような平準化や初期化や、J.J.Rousseauが告解を商品化したようにではなく、スタヴローギンは、何も変わっていないのに入れ替わってしまっている、というように気配づいた袖触れ合う隣人の目に面して、告白するか、イワン・イワノヴィチや心理分析の、その覗き込んで来る目に発作的に転移するか、つまり目や上体を逸らすかして、被監視状態をはぐらかす、というより、持て余してしまう。

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