Saturday, September 27, 2014

碧空473 放浪、ブラックホール

473 放浪、ブラックホール  Milan Kundera が困惑する永遠回帰(「存在の耐えられない軽さ」)は、永遠回帰が次元減衰した断面から孫悟空のように抜け出せない放浪、繰り返し連れ戻されて中間突破に頓挫するのであって、中間突破の輪郭喪失ではない。この断面では、中間突破と中間突破の頓挫は相似である。それは、部分と全体が混同され、同一のものと同種のものが混同される、その混同が日常性に於いてそれと知らずに使いこなされて中間突破するようにではなく、使いこなせずに中間突破の頓挫に連れ戻されてしまう困惑なのである。  この困惑の症状は、痙攣発作であり、矛盾した命令が葛藤する神経症のようなものである。この、ひきつった戦慄の症状が分割されて、重い、あるいは耐えられない軽さと報告されているのであるが、中間突破と中間突破の頓挫と一体どちらが軽くどちらが重いのだろうか。  1は0.999・・・ の最終状態で際限なく割り切れないはずものが実は割り切れてしまう、つまり、限りなく1に近づくと実はそれが1であることが分かるという飛躍であるが、これは、最終状態が潜伏して現実を浮かべる擬態を模写(抽象)している。最終状態に0.999・・・ は矛盾していないが歪んでおり、この不正に出現するのが個である。霊的形式としての1は潜伏して影である限りで個を現実にするが、個が中間突破するかの如くであるのは直しさや「私」や寿命を鎧って認識が躍り出るからである。影(場所)に浮かんで0.999・・・ が何かになることは重さを鎧い、1であることが分かるということであり、それは、1が現実として影(意味)に浮かぶことである。つまり、影(場所や意味)に浮かぶ限りで現実は重い。擬態は跳躍ではあるが安らいの場所へ重力がはたらくことでもある。一方、中間突破の頓挫は、影を占める現実の重さと、影が現実を占拠して宙に浮いてしまうことの間に放浪するのであるが、その放浪そのものがブラックホールの如く抜け出し難い。

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