碧空476 ジョークと目配せ
476 ジョークと目配せ
運命はジョークじみてもいる。その唐突な拡大(・収縮)は偶然と呼ばれているものを(顕微鏡のようにして)通して不可避的なものにタイム・スリップするからである。それは単なる覗き穴ではない。トマーシュが泊まったホテルの部屋の番号6やテレザの仕事が終わる時刻6や、テレザが住む町へ更にはもっと詳細にテレザが働くレストランのテレザが担当するテーブルへ引き寄せられる「ために」トマーシュが思い起こせる偶然のシリーズの色違い6、それらが共鳴する誘惑的な親和は、日々の生活の環境からはまるで浮いてしまっている本を読む所作と同じく婚姻色としてはたらいてしまう。 色違いで6個繋がった偶然、それは1、テレザの町の病院にたまたま脳の病気の難しい症例が見つかり、2、診断することになるはずのプラハのトマーシュの病院の外科部長がたまたま座骨神経痛を患って身動きできなく、3、代わりに立ったトマーシュは五つある町のホテルのうちたまたまテレザのホテルに部屋をとり、4、プラハ行の汽車が出る時刻までたまたままだ間があり、5、レストランに入ったらテレザはたまたま勤務中で、6、たまたまトマーシュの座ったテーブルの係であった、というように誘惑的な親和で繋がっているかに見えるが、それは、顕微鏡を通したように拡大されて救い上げられた(その、狙い澄まされた)瞬間に、色違いの偶然のシリーズが総掛かりになっても間に合わせ過ぎる婚姻色としてはたらいている。つまり、この瞬間は、日常を位置づける瞬間ではなく、目配せである。
トマーシュが行く「ために」テレザのテーブルが、トマーシュが想起する「ために」6個の偶然の色違いのシリーズが前触れるのである。目的と原因が解離しない遺漏のない包囲と監視の気配は、何か違う「私」を守護するように脅かす。この気配は、何か違う「私」が藻掻き出ようとして偶然という偶然、不正という不正を救済しながら覗き穴の能所が解離しないで、まるで孫悟空がお釈迦さまの掌中を突破することにしくじるみたいに「私」というものを萎えさせる。


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