碧空491 スリラー(奇妙なカーブや肉薄)
491 スリラー(奇妙なカーブや肉薄)
白いカーブ、忽如として迫る自転車、膨れ上がる電信柱というように変装して姿を現わした運命の、その隠れなさから身を隠すクレッチマーの失明にマグダがつき添うが、これは、隠れなさを程度として私的なものにし、しかも屈折して露出的にするのである。そもそも日常性は、隠れなさから身を隠す擬態である。タイム・スリップしないように、中間突破するように、隠れなさが薄気味悪く迫らないように、目を瞑るのである。そこでは、「私」と直しさが解離している。私的であることと公であることが解離する限りで、開眼としての運命が場所になって潜伏し、出来事が取って代わる。出来事は易の卦や星辰の配列のようなしるしである。この出来事は、予期と記憶が解離しない限りで運命に連れ戻される。守護するように脅かす収斂の気配(開眼)である。
スリルの源泉は、この収斂の気配である。
E.Hemingway が、死は照明弾が描く奇妙なカーブや警官の乗った自転車と共にやって来る、と訴える、その、死が変装して姿を現わす肉薄と隠れなさの類似は偶然だろうか。この問は答を期待しない反語である。このように問わずにはいられない発作は、素材を間に合わせる即興の隠れなさと思いがけなさを模写せずにはいられない発作であり、猖獗を極める疫病に変装して姿を現わしてオイディプスを襲う運命も、奇妙なカーブを描き、忽如として膨れ上がって迫るのである。
隠れなさから身を隠すのに失明ではなく記憶喪失を以てするもう一つの解としてのオイディプスが容易に思いつくが、それは、隠れなさに狼狽して、目を瞑る日常性(の隠れていたものが顕れる効果)と、開眼を思い出さないために(出来事にするために)十字を切るようなしるしとに分岐する発作を複写している。
スリラーの関心は、ミステリの関心が隠れなさではなく、隠れていたものが顕れる効果に逸れてしまっているように、開眼に向かうのではなく、隠れなさから身を隠すことで変装して姿を現わさないではいない、その奇妙なカーブや肉薄へ逸れてしまう。この逸脱は、隠れなさに抵抗する「私」というものが誰と入れ替わっているのか分からないスリルを写真撮影するようなものである。


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