Sunday, November 23, 2014

碧空492 奥地

492 奥地  癖のようにカメラのシャッターを切ることと十字を切ることは酷似している。隠れなさに目を瞑るのであり、隠れなさを思い出さないように封じ込めるのであり、それが悪魔祓いの効能があるのだとすれば、隠れなさは悪魔的なのである。それは少なくとも、私的であることが揮発してしまうまでに極端に私的で、そのように反語的で、密告的に恐喝的に隠れない。  「巣穴」(F.Kafka )の執拗な造成は、隠れなさから身を隠そうとして、その奇妙な迂回や肉薄や闖入を躱そうとして、そこへ繰り返し舞い戻らずにはいられずに、復唱するように(シャッターを切るように、十字を切るように)反復すれば、陰謀や追跡を遠近法で搦め捕って消尽点に導けるとでもいうようだ。逆に、「城」(F.K )の執拗な測量と走査は、測量と走査を拡張することで覗き穴の回復を期待している。そうした抵抗から「アメリカ」(F.K )は失踪していて、消尽点のない隠れなさから逃走しようとしているのではない。覗き穴は盗まれているが、一体「私」が誰なのか分からない、誰に入れ替わっているのか分からない、何のためにこの場所がこのしるしが潜んでいるのか分からない隠れない気配が、陰謀や追跡の気配に変装して迫るというより、正体の知れない引力に変装して導くのである。Kは繰り返し舞い戻るように、いつの間にか涌き出している奥地へ分け入っていく。それは奇妙なカーブを描くが後退するのではなく、一段と膨れ上がって誘うのである。

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