Saturday, November 29, 2014

碧空494 眼状紋の症状の転写

494 眼状紋の症状の転写  場所を物が占めるようにして物の最終状態が物と解離している限りで、物が命令にとって代わること、それが出来事である。場所と物が解離しないで、逆に場所が物を占拠して宙に浮いてしまうのは、とって代わることの頓挫であり、その、日常には位置づけられない隠れなさは、隠れなさに抵抗する「私」を脅かすように直しさを解いて肉薄する。  偶然の暗合、不思議な巡り合わせ、といった奇妙な閃光、目配せ、呼び出しを食らっているような隠れなさの症状は、命令に矛盾しないように素材を間に合わせる運命の即興性に由来する。それが、同心円的に同時に起こる出来事として日常の時間に位置づけられないのは、同心円の中心が放浪するからである。それは、とって代わることの頓挫である。物であれしるしであれ「それ」がその最終状態と解離しないために、すなわち「それ」が場所を占めないために、「それ」は直しさを解いて「私」を守護するように脅かす眼状紋が迫ることになる。孫悟空と三蔵法師の一行を導く妖怪変化が同心円状に行手に繰り出されて来て占拠するようなものである。  大地震の隠れなさは、大地震の場所がしかも大地震がとって代わる最終状態であることの、その媒体性が、眼状紋のように威嚇するとも目配せするともつかないのである。大地震は「大鯰」を隠喩的に最終状態とした媒体で、「大鯰」が潜伏している限りで大地震がとって代わるが、眼状紋の症状は、震源が浮上して占拠してしまうのである。八方に散らばった仁義礼智忠信孝悌の霊玉を隠喩的に最終状態として駆り立てられ、導かれる(つまり、八徳の媒体である)八犬士の、大地震のような集結も、厄難悪禍の同心円も、居合わせる「私」に眼状紋のように肉薄する。  この眼状紋は、隠れなく物語るが隠れなさに抵抗する覗き穴となって転写される。それは、一隅を忽如として顕微鏡的に極端に拡大する、と同時に、極端に視野を拡大して一隅を一気に微小にする、そのようにして導く。

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