碧空495 被曝の症状
495 被曝の症状
被造物の症状は、守護にも威嚇にも被曝していて、「それ」は場所にとって代わることの頓挫、出来事の頓挫であるために薄気味悪く迫る。ノアの箱舟を蔽うような隠れなさの変装である洪水の危機は、「it」の変装であり、この「しのびよる影」1957年10月(「IT」Stephen King)の、その直しさを解いて肉薄する気配は、地下貯蔵室の暗がりなのか野菜の腐った臭いなのか分からない空気や、濁流に乗って下る紙の小舟が導くのか導かれるのか分からない異様な長雨や、一体何に変装しているのか分からない眼状紋の変装振りに、ピエロを見たとする示し合わせたような目撃証言が出て来る。ピエロの出現は、その小口唇の回りの笑う大口唇が(すなわち、二重口唇が瞠く目を兼ねる位置異常が)守護するとも脅かすともつかぬ眼状紋と被曝症状を両棲的に両性具有的に模写して、とって代わるのである。つまり、「it」にとって代わる。その限りで、それは、1985年7月にも1986年にも目撃されるのである。
それらは、「しのびよる影」が潜伏する限りで、ピエロを目じるしとして現実にした年であるが、影がおどむ福助のように「しのびよる影」が占拠したピエロはタイム・スリップして位置づけられないし、誰と入れ替わっているのかも分からない。「雨水管のなかにピエロがいた」ジョージ・デンブロウ(1957年10月6才)の場合、その黄色い目をした青い目のピエロ、ボブ・グレイとも踊るピエロともペニーワイズとも名乗るピエロは三つの異名をもつのか、同時に異る三人なのか、極端に私的で、青い目が黄色くなるほど拡大したり、黄色い目が青くなるほど縮小して「ふわふわ浮かぶ」。その位置異常、というより位置や輪郭や重力の喪失は、まるで「復活」のようで、「雨水管のなかにピエロがいた」のは、覗き穴の効果(「私」)が失効して遠近法が破壊されているのに、目を瞑って身を隠せていないのである。
「雨水管のなかにピエロがいた」は、眼状紋が被造物の身体に顕れているのにそれと知らずに迫る被曝の症状である。この症状は、隠れなさに抵抗する覗き穴の効果(「私」)に遍在する窃視が顕れる症状の起原である。


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