碧空499 その後の27年を彷徨うための擬似本能
499 その後の27年を彷徨うための擬似本能
べン・ハンスコムが、活動するテリトリーは狭隘であるが贅肉となって輪郭を探すように、マイク・ハンロンは、父の関心が遺伝してでもいるようにデリー市の廃墟や旧跡などの瘢痕を尋ねることの延長上で、デリー市に重なる同心の出来事の地層を掘り起こし、稠密に過ぎる死体発見や失踪の分布を丹念に辿ることでその後の27年を彷徨うことになる。それは、ベン・ハンスコムが、贅肉ではないが、一週間の間に移動する空間を極端に拡大して身に纏いながら活動は限定してその後の27年を彷徨うことになるようなもので、彷徨振りというものは強迫的に反復される。エディ・カスプブラクなら、贅肉となって輪郭が彷徨っている女と暮らすことで、その彷徨う輪郭がエディが探す保護膜のようになり、次に酸素不足になるほどに過度の保護膜になり、次には一層盲目に保護膜が繰り出されることになって、悪循環の彷徨を共にする。リッチー・トージアなら、声帯模写を以て輪郭を探し続ける。おしゃべりが好きでおしゃべりをするように、その症状になるためにその症状になるのであり、それは擬似本能のようなものである。
ビル・デンブロウは、「雨水管のなかにピエロがいた」弟ジョージの出そうな場所であり、ジョージの出そうな場所として(恐怖小説の生産装置(覗き穴)として)その後の27年を彷徨う。それは、ピエロの顔の上で身を隠そうとするようなもので、ジョージの写真は「it」を映し出している。「it」は被写体ではなく、写っているのではなく、ジョージの写真を素材にして「写真」になる。排水管を覗き込むように「写真」を覗き込むと、「写真」になって出現すると同時に「写真」の場所となって潜伏する「it」の気配に、隠れなくなる。「雨水管のなかにピエロがいた」ことが筒抜けに分かるのである。


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