碧空501 通された管の蠕動の気配
501 通された管の蠕動の気配
隠れていたものが顕れる効果を以て隠れなさに抵抗すると、顕れることと引き換えに何かが隠れたのではないかという疑いを打ち消せなくなる。「我思う故に我あり」は、ピエロの顔の上で身を隠そうとするようなものである。「我思う」が拡張して「我あり」になる瞬間に一気に「我思う」に収縮するように、隠れなさに抵抗する覗き穴の隠れなさが「明晰性」と呼ばれているが、これは「我」を覗き込んだら、そのなかに「我」がいたと分節されて、何か別の源泉の気配、「我」の最終状態の気配に筒抜けに分かる、ということなのである。それは、「雨水管のなかにピエロがいた」というように分節されるはずの物語に属し、神経症や、隠れていたものが顕れる効果と同じように、metamorphosis の断面から脱け出せない。「我思う故に我あり」は、通された管の蠕動の気配に隠れなく、その隠れなさに抵抗して、何にでも化けられるおぞましい「我」を見つけてしまうのである。


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