碧空525 脳炎(経験とは何か違う)
525 脳炎(経験とは何か違う)
Lucyを通してMinaに薄気味悪く迫るもの、その、窓に羽音を立てて肉薄する熱病のようなものは、約束の年になって夜な夜な姥ヶ池のヌシがそれと知らぬ姫の臥所に通い詰めて来るというふうだ。
messiah の侵入もDracula の気配も、オイディプス的な隠れなさも、何かひどく年をとった気配が蔽いかけるのであるが、時間がかかって限定、位置づけるのではなく、寿命が解けて位置づけられない(タイム・スリップする)のである。
一体、Jonathan Harker がトランシルベニアのDracula 城を訪れることは顕微鏡が一気に拡大するような効果で、隠れていたものが顕れる効果のように曖昧(如何わしい説得力)というよりは、覗き穴を通して極端に個別化されると同時に極端に一般化されて現実が訂正不能になるのである。しかし、そうした硬直した明晰は懐疑と区別がつかない、脳炎である。
現実は物と場所が解離する曖昧で奇妙な(予定調和の)効果であり、オイディプス的な神託は恐喝じみた説得力ではあるが、オイディプス的な隠れなさは現実とは何か違う。Abraham Van Helsing 博士がWilhelmina Harker を安堵させるためにJonathanの経験をどんなに「true」と叫んでも、それは「経験とは何か違う」と囁いているのである。


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