Saturday, April 04, 2015

碧空536 「懐中電灯に照らし出されて兎のようにうずくまってしまう」

536 「懐中電灯に照らし出されて兎のようにうずくまってしまう」  物語は再発する。それは、相似の物語、相同の物語が繰り返されるということではなく、時間がかかって位置づけられていても不断に薄氷を踏んでいていつでも宙に浮き、数えられなくなるということである。解離しないで、しるしにも物にも成れないのである。これは単に薄氷が虚無や闇を抱え込んでいるというのではなく、しるしを現実にするために打ち消されて(記憶のように)潜伏しているはずの物がしるしと解離しない極薄(二重性)では覗き穴の能所も解離しないで、隠れなく、逃げ場がなくなってしまうのである。まるで「懐中電灯に照らし出されて兎のようにうずくまってしまう」(「暗黒の塔」S.K)というようだ。  これがノスタルジアや既視感のような発作として報告されるのは不思議ではない。階段を上り詰めると地表に大都会が迫り上がっていて、ネオンが頬に吐息のようにかかって立ち竦んでしまう。こうした隠沼(コモリヌ)は、物を現実にするために打ち消されて(種の関心のように)潜伏しているはずの場所が物と解離しないで、物にも場所にも成れない極薄(二重の通過)である。それは、偽物じみて、薄っぺらで、複素数のようで数えられない。  この数えられないことが、物語の中の誰かが別の物語を(し、その別の物語の中の誰かがまた次の別の物語を)するというように奥行が深まって大気が変質する「千夜一夜」の、あの寂漠、あのズーム・アップする覗き穴(「私」)が盗まれて一気に塵と灰になる照明の効果で襲う。「Twin Peaks」に潜むEvilも、そうした奥行と照明であるが、「Twin Peaks」にEvilが潜むようにCooper捜査官に潜む鏡像は「Twin Peaks」の再発なのである。  Evilの野心は遍在であるが、再発に留まる。それは遍在ではなく放浪、記憶麻痺にかかった振り出しへ予期が辿り返すためにいつまでも終わらない悪循環であるが、見かけは「懐中電灯に照らし出されて兎のようにうずくまってしまう」。

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