碧空541 新約聖書を通して催眠術にかかる
541 新約聖書を通して催眠術にかかる
新約聖書を通して催眠術にかかったようになるとすれば、それは、偽と真の間に振れるからではなく、擬態と化との間に、(意味としるしが、しるしと物が)解離する魔術と解離しない化との間に、振れるからである。
「暗黒の塔」(S.King)が致命的なのは寿命を鎧った現実として蔽いかけるからであるが、それが崩れかかっていると観測されることには、寿命が尽きると寿命が解けるとの混同がある。寿命を鎧う現実(擬態)と、寿命が解ける化との間に、解離する魔術(擬態)と解離しない化との間に振動するのが「暗黒の塔」であり、解離することは媒体であることを秘密にし、解離しないことは媒体であることが秘密ではなく、掛け離れてはいるが媒体性から離脱するのではなく、その差異は、媒体であることが潜伏しているか潜伏していないか、の変移(振動)なのである。
「暗黒の塔」にS.Kingが登場することは「暗黒の塔」が遍在する窃視の質料化であることの前触れである。「百年の孤独」(G.Marquez )の如く部分が全体を代表するようにであれ、あるいは「審判」(F.Kafka )の如く覗き穴が盗まれる(覗き穴の能所が収斂する)ようにであれ、催眠術にかかったように(限りもなく亀(場所)が積み重なって)「暗黒の塔」は再発する。しかし、この限りのなさは、予定調和的であるに過ぎない。


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