碧空547 旅芸人ラザルス(「A Tree of Night」T.Capote)
547 旅芸人ラザルス(「A Tree of Night」T.Capote)
何も変わっていないかに見える媒質変化、雪や雨や闇や別の惑星の精ではない。
電灯を点した客車は悪臭とゴミ屑としわくちゃの新聞紙と転がる空瓶と話し声やノイズを乗せて、南部が吐き出すエクトプラズムであるようにして景色を貫き、しかも旅芸人に変装して、ケイが座ることになるボックスに先回りしてさえいる。ラザロが蘇ったのは生埋めにされていたからであることを証明するとは言わぬまでも暗示するために、聾唖の男は自ら催眠術にかかって死体になり、埋葬され、そして蘇ってみせる、女が奇蹟だと囃し立てる、そんなふうな芸だ。ケイが纏うように張っているバリアーには頓着なくずかずかと土足で侵入し来て居座ってしまう。見知らぬ南部で、伯父の葬列に加わった後で最大に孤独を拡張して叫んでも乗客は誰も眠っていて、何も起こったことにならない。しかも、「本当は眠っているのではないとしたら」と不意に闖入して鷲掴むグロテスクに孤独はぞっとするというより、ピンぼけになる。
孤独が吐き出すエクトプラズムは質料化して疫病のように人の姿に変装したとしても、それは孤独を緩和するのではなく孤独というものを脅かす。孤独の極では、孤独とはまるで二人であることであるかのように孤独がピンぼけになる。実は身代わりであることを、エクトプラズムは告知する。
un-dead 状態の覚醒、Dracula の「才能は黙っていない」。それは、「暗黒の塔」の方に漠として向かって「ロス・アンジェリス」とまるで場所のように呼ばれる浮雲を目じるしにしようと観測している旅芸人である。媒質変化は、こうした旅芸人の「才能が黙っていない」のである。ケイの才能も黙っていない「いま汽車はアラバマを走っている。明日はアトランタに着く。わたしはいま十九歳で、八月には二十歳になる。わたしはいま大学の二年生・・・」しかし南部の暗闇が吐くエクトプラズムは、悪意と悪い場所に変装してとまでは言わぬまでも、どこまでも続く木の壁と、皓々とした月に変装して「浮雲」に捧げられている。


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