碧空553 ゴシック的なものの、そのあこがれ
553 ゴシック的なものの、そのあこがれ
「物事の中に入り込んで、外を見たい」(「Breakfast at Tiffany's」T.Capote)という物語る人々のあこがれも、予定調和的な「エル・ムンド」に入っていきたいというティコ・フェオの航海のあこがれも、物事を洞察したいと念ずるのではなく、遍在する窃視になるように奇怪に器官を延長してこことあそこがシャムの双子のように癒着していることである。
それは、「遠い声 遠い部屋」に誘われ、導かれるジョエルの、父ミスター・サムソンが身体不随であるのに目だけは鏡に映っている、というより鏡の中に乗り込み、乗っ取って外を見ているように、鎌首を擡げた毒蛇の頭にも入り込んでいる。
平行世界を瞬間移動する航空のあこがれも、こことあそこは解離しない。こうした二重に通過するあこがれが、ゴシック的なものの、そのあこがれである。種の関心の一触れに鬱勃とする予定調和的な「エル・ムンド」のexoticism は、「時間の中の小島」がプエルトリコ島やハイチ島の姿をして開こうと屋根裏部屋の姿をして開こうと異性や異形(過剰、欠如、二重性)の姿をして開こうとも、奥地へ続く半島と下降の気分で、またun-dead 状態や被監視状態の気配に変装する。


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