Tuesday, June 09, 2015

碧空558 in Dracula(霊獣のように守護してしまう)

558 in Dracula(霊獣のように何かを守護してしまう)  被造物の隠れなさに反抗するDracula に変装、屈折して(守護するように脅かす)隠れなさの、その変装を解除、解体する根拠のない手段と儀式は、こうした変装がいつでもいきなり訪れて来る亀裂であることを度忘れして、仮初めにまた一日が何事もなかったかのように始まるようにする。  「審判」(F.Kafka )の悪夢の終わりの沈黙の底から、遠い鐘の音のように聞こえて来る告知とは、このことである。  「In Cold Blood」(T.Capote )では、Cold Blood(冷血)に変装してそれは、1959年11月カンザスの索漠とした大平原で憤るように起こった一家四人惨殺事件というふうに、もっと一般的概念(猟奇、凶悪犯罪)に解消されて滑稽味を隠しおおせている。しかし本当にそうなのか。不覚にも笑ってしまわないか。  それは、たった11,000の人口で22もの教会があるような土地柄(nowhere to hide )か、「蜃気楼から蜃気楼へ」彷徨って自らも蜃気楼に成り果て笑ってしまう凸凹の若者(DickとPerry )が確かに逮捕され護送されて来るのを目の当たりにしても(たとえリンチが憤然と起こって吊り下げられたとしても)まるで事件の真犯人は別にいて極身近な隣人のままになおも潜み続けている、とでもいいたげな、どこか要請じみたエクトプラズムがかった容疑が「冬のバッファローの吐息」のように白く洩れてはすぐ消える、その満ち足たらなさにも窺える。  霧の底から突如カルデラに姿を現わす「神の湖」やバンドネオンのもの狂おしさの奥底から百年にひとたび姿を現わす「ブエノスアイレス」のように、Dracula もCold Bloodも、その変装・屈折を通して霊獣のように何かを守護してしまう。

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