Sunday, July 12, 2015

碧空570 スピリットの残骸

570 スピリットの残骸  異本でないものはない。「And Then There Were None」(A.Christie)は解(変奏)の一つに過ぎなく、Christieは、そのスピリットの残骸である。 14 屋上では次兄が長兄に付き添われて、ビルの経営の行き詰まりと破産宣告らしきものを、スピーカーを通して雪解けの三月の街に流している。ビルは煉瓦造りで、上層は世界図の壁画、下層には三つのテナントがあって、右側の1から3へ進むほど暗く奥まっている。3は暗いばかりか狭く、形のないものが記憶の如き物質となって埃のように積もっている。1か2が「ダルマ食堂」と呼ばれているが、どちらかは不明である。1あたりでは、つまり2かも知れないのだが、シミュレーショニズムの絵画の展示や、市民権のないどっちつかずのパーフォーマンスがおこなわれているらしい。  実在の「ダルマ食堂」と呼ばれる女三人組の芸はどっちつかずで、金髪のかつらを被り、「外国人から見れば私たち外国人よ!」のギャグを連発する。「仏法何処より来る」の公案が宣告する、仏法が仏法のカタストロフィであることに面して、公案は猿轡を噛まされている。   9 姉崎、平野、中橋らと何か言い争っている。中原が赤門を受験すると言い、Codwell について問う。the Cape of Cod の別名かなと思いつつ帰って調べるが、彼に対する返答としては、(a±b)の3乗の公式もおぼえた方がいいのではないかと忠告してある。  「神の小さな土地」(Caldwell)のように不屈の移転をするとは言わぬまでも、幾分かその色相がBの野心にはある。少なくとも中原のように姉崎、平野、中橋とスピリットが対立する。そのためにBの表層に中原が転写され、Bは夢に侵入した中原に寄り添う影となる。Bに変装して夢に侵入しようとしたスピリットは、夢の中でBを現実にする影になりきれずに、Bが中原を現実にして潜伏するのである。Codwell はBの影になるはずだったスピリットの残骸である。  to be or not to beが代表するHamletは、「And Then There Were None」の未知の青本に変装して顕在化するはずだった「臨在」の残骸である。見逃せない、深刻なエラーが侵入しているかに見えるのは、未知の青本を代表するのは、to be or not to beではなく、at once to be and not to be すなわち、un-dead 状態だからである。しかし、選択に揺らぐことは隠れなさに抵抗する「私」というものを代表する症状であり、Dracula の出発は隠れなさへの抵抗であるから、未知の青本の抱え込む矛盾したスピリットの葛藤に面して、当惑して(転移発作的に)その半面が括弧つきで残骸となった、というふうなのである。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home