Sunday, August 09, 2015

碧空586 曙光と絶対零度

586 曙光と絶対零度  カルパチアの山中の断崖に位置するのではなくectopia (位置異常)であり、両極が癒着したドーナツ体として浮かぶDracula の城館が迫り、the end of the worldと呼びたくなるような媒質が圧しかかるにつれ雪片がちらちら舞う、この重圧と逼迫のただ中で、Van Helsing 教授は忽如として漠とした疚しさ(the sense of some guilt )に襲われる。教授が今まさに消滅を企てるものであるDracula のun-dead 状態こそは、打ち消され疚しさとなって潜伏しているがそれと気づかぬ間に教授の喉元まで上り詰めて来ているもの(しかしそれがDracula の身体に顕れているために度忘れしているもの)なのである。  曙光に照らし出されて一瞬にして微塵と化して誰と入れ替わったのか分からなくなる。F.Kafka が、物語の終わりがしばしば「何事もなかったかのようにまた一日が始まった」で結ばれるとして漠として嗅ぎつけていたものは、この曙光と絶対零度なのである。  「Twin Peaks」(D.Lynch )のCooper捜査官のようにVan Helsing 教授も、事の後で、鏡に映し出された顔が擬態(正体や寿命)としてのselfishness を鎧い、un-dead 状態の侵入を食い止めようとするリングのように結界(日常としての一日)を張り巡らしていて、つまり、既に何かが知らぬ間に寄生していても気配を消していて、それとは分からないのである。  追い詰めていたはずなのに実は誘われていたのであり、知らぬ間に追い詰められている。霧の中で鹿を追って来たのであるがはっと気づくと断崖の縁に出てしまっていて、足元から崩れた小石がひとつふたつ、たちまちさわに誘いあい谺しあって落ちていく。

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