碧空598 零落の気配が消せないfree fall、零落の気配を消したfree will
598 零落の気配が消せないfree fall、零落の気配を消したfree will
電話でP.Austerとして呼び出しをくらったQuinn は差し当たっては探偵(P.Auster)としてP.Stillmanを尋ねる。しかし部屋に通されるや再び覗き穴の能所は入れ替わって、P.StillmanはP.Auster(Quinn )にオマエノコトナンダゾと恐喝しているようであり(狼狽からか)うしろに誰かがいるみたいに不覚にもP.Auster(Quinn )は振り返ってしまう。ミステリならば(擬死のエラーの転移発作から)P.Stillmanは殺される恐れがある。従って、P.Stillmanは殺される恐れを見当違いに(出所して来るStillman senior の方へ)先取りしていたことになる。P.Stillmanの異様な気配はQuinn の人面瘡でQuinn を暴くようでもあり、またその奇怪な陳述の波や反復は催眠術にかける精神分析医のようでもあるが、いずれにしても、隠れ過ぎたQuinn はP.Stillmanの身体を通して告白するように、暴かれるように漠として迫られているのである。何をか。
獲得した言語をunlearn すること、思いが届くが如く期待されている言語ではなく、絶対零度の言語(しかしそれは零落の気配が消せないfree fall 、世界の終わりに出る沈黙)をである。口から飛び出す言葉は本当の何かを隠すためであり、罪状の発覚は本当の罪を隠し、暴かれた精神は本当の命令を潜ませてしまう、そうした暴かれなさではなく、隠れなさ(隠れ過ぎていること!)をである。
一方、Babel の(言語の)届かぬものに届こうとする試みは、積み上がる告白やヘロドトス的伝聞や、そうした如何わしい説得の技法の変態でしかない推理、精神分析の、あるいは、種の関心としての窮極の発見・暴露の、その暴かれなさに地続きになっている。発見という発見が何かが潜伏したことを暗示するのは、長靴を穿いた猫の胃袋が鼠に化けた魔法使いを消化するどころか(復活が誰に入れ替わったのか分からないように)魔法使いが長靴を穿いた猫となって姿を晦ますようなものである。そんなふうにして「Quinn was nowhere 」とは、誰に入れ替わったのか分からない、糸のないマリオネット状態なのである。
暴かれることの、その、隠れていたものが顕れる効果は、零落の気配が消せない隠れなさではない。零落の気配が消せないfree fall の、その媒質変化ではなく、零落の気配を消したfree will(零落)である。言語のunlearn とは、習得した言語を忘れることではなく、零落が解けること(法則的・歴史的保存の廃棄)である。それを神の言語と呼ぶとしても、それは、Babel のように積み上がるものではなく、化の気配である。


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