碧空600 打ち振える対い形成の覗き穴
600 打ち振える対い形成の覗き穴
能:極端は暴かれなさ、身も世も正体が疑わしく秘密じみて迫り、何もかもが意味深くなる。
所:極端は隠れなさ、「私」が微塵と化し、何もかもが眩しく、舞い上がる。
媒体性が嫉妬妄想や奇形嚢腫の気配に変装するとき、この、隠れなさと暴かれなさは収斂する。これは、魔法使いであることに酷似している。化けずにいられないのは正体も「私」も行方知れないからである。
擬態は奇術(それは技術革新、正体や「私」(自由、孤独、思考)の発明で、しかし意図的ではなく、平均化や提喩といった解離した、専制的な思考発作)であるが、擬態が解けることも魔法である。擬態は奇術であることの気配を消し、擬態が解けることは魔法の気配を消せないでいる。そんなふうにして忽然として異性も現れて来る。
仕掛けとしてのchanceも、器官の延長として機能する。そのようにして偶然は適合する。chanceとは、種の関心(霊的命令)に矛盾しない範囲でずれて現実になる間に合わせ、すなわち即興性である。
対い形成の即興に於いて有性生殖の分業は奇術のようなもので、媒体性は器官の延長であることに変装している。この、機能していることの美徳と、アウラやエクトプラズム、ゴーストを出す魔法との差異は、零落(the fall)の気配が消えているか消えていないか、free will とfree fall の差異であるが、それは二つのfreeの差異、二つのfallの差異でもある。


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