碧空610 責めの二つの水準
610 責めの二つの水準
Black を監視しているBlueを「どこかで会っているはずだ!」という気配が擦過する。それは、二重性のトリックがタイム・スリップの方へ跳躍しようとしているのである。しかし差し当たっては、遭難したまま行方知れずになっていた父の顔が氷の中に保存されているのを失踪当時の父の年齢ほどになった息子が同じスキーヤーの姿で生き写しに覗き見る、というようにまるで厚いガラス窓を通してBlueはBlack を覗き見る、というよりはBlack を包む媒質になる。身体だけは時間旅行に出たようにBlueはそこにいてそこにいない。(「Ghosts」P.Auster)
これは、Blueが場所との区別をおかされているのだろうか。Stillman教授を監視するQuinn が覚醒と睡眠の交替を漸次早めて終には覚醒も睡眠も零にするような奇術なのだろうか。奇形嚢腫の中のもう一体であるBlack 、program としてのBlueの中に呼び出されたprogram としてのBlack の中にBlueが呼び出される、その二つの解の交替を漸次早めて終には寿命が解け、Black とBlueの区別がおかされる。それは、不眠を極める収縮に於いて睡眠と覚醒の区別がおかされるようなものである。監視の窮極では、犯人探しの窮極で誰もいなくなるように、二つの解とも時間旅行に出てしまう。それは継時的ではない。
ところで、如何わしいのは、Black とBlueが入れ替わったり、Black あるいはBlueが同時に異なる年で生活しているといったトリックではなく、継時的であることである。
自然そのものが責めであるが、二つの水準がある。鬱勃と、その次元減衰した断面、物と場所が解離しない状態と、解離する状態、漠とした疚しさの気配(free fall )と、義の症状(the fall)としての本性、本質、「私」といったものの如何わしさである。


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