碧空627 不眠を極める汎フォーカスの痛恨
627 不眠を極める汎フォーカスの痛恨
「Take Care of your Scarf,Tatiana」(A.Kaurismaki)のカメラワークが窃視的でなく、カメラに追い回されることがなく、追いかけるものが通過なのか通過を浮かび上がらせる光景や建物なのか分明でないのも、覗き穴が取り消された鏡像の気配が消えているからである。この汎フォーカスは、種の関心が散漫に陥ったエラーというのではない。
心臓の鼓動よりも単調な日々のミシンのノイズとミシンのノイズの間の、つかの間の(小水をがまんできる程度の)不在、そのわずかな逸脱、冒険がズーム・アップされ、外国船に胸が潰れるような消尽点が現れもする。とはいえ、この突出は(それっきり見失われるかと思われる寸前で虚空から事故のように生まれてくる次の突出は)浮雲のように目じるしになるのだろうか。
女が埃の蓄積した部屋に閉じ込められて経過する一時間半はつかの間の作品の上映時間でもあるが、それが三昼夜か四昼夜の経過に拡大、分節されているために、コーヒー中毒の男とウォッカを水のように呑む男のささやかな誇示のトサカと跳躍はフォーカスが太陽のように当たってスロー・モーションを羽織っている。しかし、浦島の場合とは逆に、何日もの大航海は帰郷してみると上映時間程度の経過に過ぎなかったことが分かる。それは、人生がコーヒーやウォッカだけではなくスカーフでもあることを痛感することになる拡張とエラーじみた汎フォーカスの旅が、日々のミシンのノイズにフォーカスが圧縮、収束してしまう痛恨のようなものである。
浦島を襲う痛恨(家郷を離れると時計がひどく遅れてしまう痛恨)は、家郷を離れると時計がひどく進んでしまう痛恨の鏡像である。この痛恨は、地下的な目的が地上の全体として自らを想起すると同時に自らを忘却する零落に面して、そうした全体を例えばスカーフやミシンのノイズが事故のように代表してしまう一気の拡張・収縮を、嗚咽や眩暈の突発のように発作的に模写するである。
家郷を離れることは、ミシンのノイズを現実にするために打ち消されて潜伏していた影の浮上(漠とした目的の気配が次元減衰した縁生性を剥き出しにして汎フォーカスになること)であるが、これが、家郷を離れると時計がひどく遅れたりひどく進んだりしてしまう痛恨、同時に二つの場所に存在する位置異常の(或いは、眠らずに覚醒もしない不眠を極める収縮の)漠として疼く呵責の、決して珍奇ではない変質である。


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