碧空629 「見えざるもの」の二相、その出現の二相
629 「見えざるもの」の二相、その出現の二相
弟子たちの間に出現する(或いは、疚しさとなって潜伏する)Jesus Christは、龍の息の如く疼く種の関心である。それは、和音が音の和ではないように、弟子たちの和ではない。弟子を食い尽くす旺盛にして露骨な食欲が、Jesus Christの痩躯には顕れている。この食欲は、乗っ取ることである。霊的命令が見えざる一般意志として自らを想起すると同時に自らを忘却して、弟子たちにホロコーストがかかる。この「見えざるもの」の出現は弟子たちを要請するが、誰ひとりとして取り返してはくれない。
目に見えない場所に矛盾しない範囲で目に見えるものとなって出現する、その「見えざるもの」の出現の二相、
1 隠れなさ(物と場所が解離しない)
2 暴かれなさ(物と場所が解離する)
隠れなさは、鏡像になることを阻害する。物と場所の区別がおかされているからである。それは、Dracula が鏡に面すると部屋が映ってしまうようなものである。
暴かれなさは、目に見えない霊的形式が目に見える地上の具体となって自らを想起する(従って自らを忘却する)零落である。これが、種と全体の出現(・遁走)の起原であるが、それは、「私」が鏡に面すると「私」というものを代表する顔面が映ってしまい、まるでひどく腹を空かせているみたいに他の誰かを要請しないではいないようなものである。
目に見える具体(shape )と目に見えない霊的形式(form)の解離は、霊的形式(予期)が具体となって自らを想起する(従って自らを忘却する)零落、目に見えないformが目に見えないspecies に零落するのである。


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